【子供の心で】
娘が一歳の時だ。
つかまり立ちが出来て、
つかまり歩きが出来て、
いよいよ最初の一歩を
踏み出したくて仕方のない時。
自分だけの力で歩きたいと願った日。
私と手を繋いで歩くのでは
物足りなくて、
といって、
一人で歩くには心もとない、
そんな時。
折衷案として、
私は、ソックスの一方の端を私が掴み、
もう一方の端を娘に掴ませた。
それを両手に、
家の中で歩行練習。
その方法が気に入ったと見え、
朝起きると、
すぐさま娘は、
這って行って、
そのソックスを見つけて、
私に持ってきて、
今日も歩行練習をしたいとの
意思表示をしたのだった。
歩けるようになりたいとの想いが、
ほとばしり出ていた。
子供は
歩きたいという自身の想いで、
よちよち歩きを経て
自分らしく
歩けるようになる。
初めて歩こうとする子供が
転ぶのを見て、
それを失敗だと思う親はいない。
私たちも、
その子供の心で
新しいことに向かって
進んでいいのだ。
転ぶことによって
自分らしく
出来るようになるのだから。
私たちを
創造した神は
そうして私たちが成長するのを
見るのを楽しみにしている。
創造神にとって、
私たちは、
子供そのものだから。
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